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沖縄リバイバル教会の「教会債」について
沖縄リバイバル教会では1997年頃も教会債をあつめていました。
その次、教会債の請求が大々的にはじまったのは2004年8月でした。
2002年新会堂が完成した直後のことです、
教会に行くと儀間盛夫が私を探しているのがわかりました。
私は高校三年(17歳)の時に母を亡くしました。
それから間もなくして友人に誘われて沖縄リバイバル教会に通うようになりました。
母が他界して二年後、19歳の時、父も亡くしました。
儀間盛夫は私の父の葬儀の際にも一度も来ませんでした。
その頃、祖母は既に高齢のため老人施設に入所していたので、私は一人暮らしになりました。
その頃から、「僕は親代わりだから」といって儀間は私に執拗に近づいて来ました。
先祖代々住んでいた家屋敷も儀間の「売った方がいいな」の一言でどんどん話が進められていきました。
教会員のハレルヤ住宅の米須が動き出し、気がついたら生まれ育った家は取り壊され土地は売られていました。
土地建物含め4800万円でした。
教会事務員の屋比久から土地代の十分の一献金を要求されました。
屋比久宏は銀行まで付いてきて銀行の窓口で私は480万円を屋比久に渡していました。
また、それ以外にも私は500万円余りを教会のために使いました。
それからというもの、儀間盛夫はなんども私に近づいてきてはお金の残高を確認していました。
「絶対、人にお金を貸してはならない。」
「ペイオフ制度があるから、あちこちの銀行を使って一千万円づつ分けて預けなさい、僕たちもそうしているし、子供たちの名義にしたりしてうまく使い分けているんだ。」と儀間ははっきりと私にいいました。
私はそれを聞いて、「牧師はお金を沢山持っているんだなぁ」と思った、のと同時に、「私のお金は儀間牧師に全部取り上げられるのではないか? 牧師にお金も管理されるのではないか?」と怖くなりました。
教会に行くと儀間が常に私を探しているのが分かりました。
私は儀間から逃げるようになっていました。
2004年の教会債の話が出る半年も前から私を探して教会債の説明をしていました。
「今、教会債を集めていて、お金を工面できる人から一人づつ声をかけているんだ。
ひろみさんはお金いくら残っているのか?」と聞いてきました。
あの頃の私は4歳、3歳、2歳の子を抱え4人目を妊娠していました。
次男が生後すぐにアトピー性皮膚炎にかかり全身に炎症が起こっていました。
身重な体で三人の子供を抱えながら、次男を連れてありとあらゆる病院に行き治療を施す日々でした。
あまりのかゆみと痛みで次男は夜中も泣き続け睡眠もとれない状態で、朝になるとシーツが血だらけでした。
そんな生活だったのでアトピーに効くといわれれば藁をもすがる思いでどこにでも出かけて行って治療を受けていました。
儀間に教会債を請求された時には、もうお金はほとんど残っていませんでした。
なので、礼拝が終わったら儀間に捕まらないように急いで逃げるように帰っていました。
しかしある日、儀間につかまりました。
儀間は私に言った。
「教会債を集めているが、ひろみさんは何口できるのか?」
私は困ってしまってあわてて「二口ならできます」といってしまいました。
すると儀間盛夫は「誰かにお金を貸したのか?お金はいくら残っているのか?」と怒ったように強い言い方で聞かれたので私は怖くなって「一千万円残っています。」と嘘を付きました。
次の週の礼拝後、こんどは副牧師儀間盛人の妻、儀間その子に呼び止められました。
その子は言いました。
「ひろみ、儀間先生から言われたから聞くけど、まさか、人にお金貸してないよね!儀間先生お金いくら残っているかって心配しているよ、あのお金残っているよね!!いくら残っているの?」と色々聞いて来たので私はとっても怖くなりました。
あの頃は「神様が立てた器の牧師を疑うことは大変な罪だ。」と教えられていたので、牧師に対して、教会に対して疑問を持たないような脳になっていました。
今なら分かります、儀間一族は家族ぐるみで計画的に信徒から金集めをしているのだと。
儀間は信徒のお金はすべて自分たちのお金だと考えていたことが今ならよく分かります。
父親が私に残してくれた資産もすべて管理体制に入れようとしていたことが、今ならよく理解できます。
大きな代償は払いましたが、あの破壊的カルトである沖縄リバイバル教会を脱出できたこと、儀間一族に決別できたことは私にとって大きな恵みです。
とても辛くて泣きながら過ごしてきたこの5年間でしたが、盛山和子さんと仲間に支えられ今は毎日が幸せです。
あの教会の中にいたときと比べると想像も出来ないくらい、今はとても幸せに暮らしています。
心から神様に感謝しています。
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沖縄リバイバル教会の「教会債」について
沖縄リバイバル教会では1997年頃も教会債をあつめていました。
その次、教会債の請求が大々的にはじまったのは2004年8月でした。
2002年新会堂が完成した直後のことです、
教会に行くと儀間盛夫が私を探しているのがわかりました。
私は高校三年(17歳)の時に母を亡くしました。
それから間もなくして友人に誘われて沖縄リバイバル教会に通うようになりました。
母が他界して二年後、19歳の時、父も亡くしました。
儀間盛夫は私の父の葬儀の際にも一度も来ませんでした。
その頃、祖母は既に高齢のため老人施設に入所していたので、私は一人暮らしになりました。
その頃から、「僕は親代わりだから」といって儀間は私に執拗に近づいて来ました。
先祖代々住んでいた家屋敷も儀間の「売った方がいいな」の一言でどんどん話が進められていきました。
教会員のハレルヤ住宅の米須が動き出し、気がついたら生まれ育った家は取り壊され土地は売られていました。
土地建物含め4800万円でした。
教会事務員の屋比久から土地代の十分の一献金を要求されました。
屋比久宏は銀行まで付いてきて銀行の窓口で私は480万円を屋比久に渡していました。
また、それ以外にも私は500万円余りを教会のために使いました。
それからというもの、儀間盛夫はなんども私に近づいてきてはお金の残高を確認していました。
「絶対、人にお金を貸してはならない。」
「ペイオフ制度があるから、あちこちの銀行を使って一千万円づつ分けて預けなさい、僕たちもそうしているし、子供たちの名義にしたりしてうまく使い分けているんだ。」と儀間ははっきりと私にいいました。
私はそれを聞いて、「牧師はお金を沢山持っているんだなぁ」と思った、のと同時に、「私のお金は儀間牧師に全部取り上げられるのではないか? 牧師にお金も管理されるのではないか?」と怖くなりました。
教会に行くと儀間が常に私を探しているのが分かりました。
私は儀間から逃げるようになっていました。
2004年の教会債の話が出る半年も前から私を探して教会債の説明をしていました。
「今、教会債を集めていて、お金を工面できる人から一人づつ声をかけているんだ。
ひろみさんはお金いくら残っているのか?」と聞いてきました。
あの頃の私は4歳、3歳、2歳の子を抱え4人目を妊娠していました。
次男が生後すぐにアトピー性皮膚炎にかかり全身に炎症が起こっていました。
身重な体で三人の子供を抱えながら、次男を連れてありとあらゆる病院に行き治療を施す日々でした。
あまりのかゆみと痛みで次男は夜中も泣き続け睡眠もとれない状態で、朝になるとシーツが血だらけでした。
そんな生活だったのでアトピーに効くといわれれば藁をもすがる思いでどこにでも出かけて行って治療を受けていました。
儀間に教会債を請求された時には、もうお金はほとんど残っていませんでした。
なので、礼拝が終わったら儀間に捕まらないように急いで逃げるように帰っていました。
しかしある日、儀間につかまりました。
儀間は私に言った。
「教会債を集めているが、ひろみさんは何口できるのか?」
私は困ってしまってあわてて「二口ならできます」といってしまいました。
すると儀間盛夫は「誰かにお金を貸したのか?お金はいくら残っているのか?」と怒ったように強い言い方で聞かれたので私は怖くなって「一千万円残っています。」と嘘を付きました。
次の週の礼拝後、こんどは副牧師儀間盛人の妻、儀間その子に呼び止められました。
その子は言いました。
「ひろみ、儀間先生から言われたから聞くけど、まさか、人にお金貸してないよね!儀間先生お金いくら残っているかって心配しているよ、あのお金残っているよね!!いくら残っているの?」と色々聞いて来たので私はとっても怖くなりました。
あの頃は「神様が立てた器の牧師を疑うことは大変な罪だ。」と教えられていたので、牧師に対して、教会に対して疑問を持たないような脳になっていました。
今なら分かります、儀間一族は家族ぐるみで計画的に信徒から金集めをしているのだと。
儀間は信徒のお金はすべて自分たちのお金だと考えていたことが今ならよく分かります。
父親が私に残してくれた資産もすべて管理体制に入れようとしていたことが、今ならよく理解できます。
大きな代償は払いましたが、あの破壊的カルトである沖縄リバイバル教会を脱出できたこと、儀間一族に決別できたことは私にとって大きな恵みです。
とても辛くて泣きながら過ごしてきたこの5年間でしたが、盛山和子さんと仲間に支えられ今は毎日が幸せです。
あの教会の中にいたときと比べると想像も出来ないくらい、今はとても幸せに暮らしています。
心から神様に感謝しています。